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高橋由一(洋画家)ってどんな人?wiki風プロフィールや経歴について!

ども!ミッドナイトです!

画家の高橋由一さんのことはご存知でしょうか?
江戸時代から明治時代にかけての日本人初となる
洋画家の一人です。

どんな人生を送られ、どんな作品を世に出してきたのか?
簡単にご紹介していきたいと思います!!

 

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高橋由一の経歴

 
生誕 1826年3月20日
国籍         日本 江戸
死没 1894年7月6日(満68歳没)
日本         東京根岸金杉
教育 洋書調所画学局、工部美術学校
著名な実績 洋画家
代表作 『花魁』『鮭』

高橋由一が亡くなられてから、
もう123年前の月日が経ちます。
 

この時代にも洋風画を描く画家というのは
多く存在していましたが、
 

高橋由一のすごいところは本格的な油絵技法
を用いて作品を描いていった日本人初となる
洋画家
だったんですね!
 

わずか2歳の時には筆を持って人面画を描き出した
という話があり、まさに神童と言われるレベルだったのです。
 

画家といえど、お家が代々剣術家の家だったので
剣術の稽古や藩のお仕事(今でいえば役所のお仕事)
に日々追われる生活をしていて
中々絵を描く暇はなかったとされます。
 

ですが、元々病弱だったため、
剣術の稽古を休みがちになっていた高橋由一の姿を見て
剣術の師範であった祖父は由一に剣術の後継者としていきていく
道を諦め、他の弟子たちに後継するという話になります。
 

そのおかげで由一は画家としての道を
突き進むことができるようになり、
本格的に画家としての人生がスタートします。
ちょうど由一が20歳そこそこの時の話です。
 

しかし油絵を本格的に学び出したのは
1866年の由一が40歳くらいになってからでした。
 

その時当時横浜に住んでいた
イギリス人のチャールズ・ワーグマン(画家・漫画家)
に弟子入りをします。
 

ワーグマンの弟子入りからわずか1年が経った
1867年にはパリ万国博覧会に出展しています。
 

かなり飲み込みが早いというか
この時点で世界を股にかけるところが凄いですよね。
 

1873年(明治6年)に入ると天絵楼(てんかいろう)
という画塾を創設します。
 

当時日本最大と呼ばれる画塾を開講し
多くの門下生を得て多くの弟子を養成していきます。
 

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代表作【鮭】

 
そして明治10年由一の代表作とも言える
【鮭】がこの世に誕生します。
 
高橋由一ってどんな人?wiki風プロフィールや経歴について!
半分中身が見えてる鮭の油絵ですね!
 

あなたもどこかで見たことがあると思います。
この鮭は、西洋の模倣品などではなく
日本人独特の油絵なのだ!
と評価されています。

 

1879年(明治12年)には元老院の依頼で
明治天皇の肖像画を描くほど、
世の中にその名を轟かせていたのですね。
 

そして1894年(明治27年)自宅で息を引き取ります。

 

まとめ

 

今の日本においては油絵という概念は
当たり前のものになっていますが
当時としては物珍しいしかも最先端の
技法だったわけです。
 

それをいち早く日本に取り入れた男が高橋由一
油絵ってものすごくリアルで、まさに写真を見ている
ような立体感ですよね。
 

そんな油絵に心奪われ
生涯を油絵に捧げてきた高橋由一
 

日本に今油絵の文化があるの高橋由一さんの
おかげなのかもしれませんね!
 

ありがとうございました!

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